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今日のニュースに思うこと

下級市民が今日のニュースの感想を綴ります。完全自己満。反論は自由にどうぞ。こういうやつもいるのだと広い心でお願いします。

相模原障害者殺傷事件について【責任能力とは】

裁判員裁判が行われてようで、責任能力はあったと認定されたらしい。

これには安堵したが、仮に責任能力が無いと認定されたらどうなっていたのか。

昔から、殺人があれば責任能力の鑑定が行われるが、理解できない。

責任能力があろうが、無かろうが、人を殺したら罰は受けるべきだと思う。

被害者は命を奪われ、未来を人生を全てを奪われ、遺族も辛い悲しみ、憎しみを背負うことになるのに、責任能力がありませんでした。

無罪。

これで誰が納得するのでしょうか。被害者は殺され損ですよ。

被害者の人権を踏みじっておきながら、裁判では加害者の人権を主張するゴミクズ以下の弁護士ども。加害者に責任が負えないなら、人権派の弁護士が代わりに罪を償えばいい。被害者の殺され損のこの制度は理解に苦しむ。

 

こういう議論になると、現れるのが加害者の更生を訴えるやつ。

更生しようが、人殺しに人権など無い。他人の人権を奪って、人権を主張するな。

痴呆老人の暴走自動車もそうだ。痴呆だから、無罪になる。それは仕方のないことだが、代わりに誰かが責任を負うべきだろ。轢き殺された子どもたちはどうなるのか。

命に子供もお年寄りもないのは分かるが、痴呆には前兆があり周りが気付けるはずだ。そんなお年寄りが運転しては事故が起こるかもしれないと、健常者なら分かるはずだ。現在では高齢化が進んでいることもあり、役所も把握しているだろう。

 

話がそれてしまったが、人殺しはいかなる理由があれど、有罪になるべきである。責任能力がないのなら、野放しにしていた家族なりを罰すればいい。そりゃ、その家族にも色々な問題があるだろうが、こうでもしなければ頭のおかしいやつの封じ込めが出来ないだろう。実際、被害者遺族はどれだけ加害者が罰を受けようと、金を積まれても報われることはない。

でも、加害者が無罪で処理されたらこれ以上の侮辱はないと思う。

 

責任能力。便利な言葉である。魔法の言葉。

人を殺しても無罪なのだから。